みなさん、こんにちは。
勉強といえば、皆さんは何を想像しますか?
つらいテストや暗記、難解な数式、よくわからないカタカナ言葉など、想像する対象は人により千差万別です。
得意不得意に関わらず、つらいものと思っている人が多い印象がありますし、ごく一部の人たちをのぞけば、勉強とはすなわち苦行なのかもしれません。
勉強は辛いもの?
「勉強がつらい」にしても理由は様々です。
たとえば「成果がでない」こと。
なかなかテストで点が取れなければ、余計に辛くなりますね。
あるいは暗記が苦手なひと、数式や文章を理解するのが苦手という人もいるかも知れません。
では、ストレスになりにくい勉強方法というのはあるのでしょうか?
理解か、暗記か。
勉強のやりかたにも向き不向きがあります。
国語と数学を比較すると、わかりやすいかもしれません。
この二つの科目は高卒認定試験における科目のなかで、もっとも意見がわかれる科目なのではないでしょうか。すなわち「国語/数学という科目を勉強するには、理解か、それとも暗記か」です。
結論から言えば、どちらを重視して学習したとしても有効です。むしろ、どちらのやり方が向いているのかによって結果は大きく変わってきます。
一旦、暗記科目かどうかを忘れて各科目を見渡してみると、どの科目も暗記は必要です。かといって理解も必要であることに変わりはありません。
教科書を読む。問題文を読む。
暗記しようとせずとも、記憶に残ることはいくらでもありますし、逆に理解しようとしていなくとも、気付くと人に説明できるほど理解していることもよくあることです。
以前読んだ小説やノンフィクションの文章をふと思い出したとき、その本の内容を思い出しているわけですが、暗記しようとしたわけでもないのになぜ内容を思い出せるのでしょうか?
「文章を読む」を言い換えると読解になります。読解は文章を理解しながら読むことですから、暗記よりは理解のほうが近いかもしれません。しかしながら実際は、先程の例のように「過去に読んだ文章を思い出す」こともできますから、理解しながら読むことが暗記の助けにもなっています。
理解しようと行った行動が暗記にもなるなら、その逆もあります。
料理や仕事の工程を思い出してみましょう。必死になってやり方を体に叩き込んでいるうちに、全体像が見えたような気になったことはないでしょうか。単純な繰り返しが理解を促すこともあるのです。
勉強法は一つじゃない!
結果からいえば、理解と暗記は相互に補い合うわけですから、どちらからはじめてもいいですし、どちらしかやらなかったとしても成果を出すことは確実でしょう。
理解しようとするあまり、どうしても全体像がつかめないのであれば、主要なキーワードを抜き出して、それだけを覚えてみるのも手でしょう。そうすることがかえって全体の理解を手助けすることもあるのです。
向き不向きの問題は依然としてあります。
必死になってテキストを書き写したり、ひたすら暗記しようと何度も何度も読み上げたりするのも、もちろん大切ですが、もしもそれで思ったような成果が出ていないなら、一度肩の力を抜いて「ただ読む」をしてみてもいいかもしれません。