不登校生徒への一歩、訪問支援のエピソードの2-尾添校長の明日は晴れ④
バンプオブチキンで繋がった14歳と50歳(後編)
毎週基本同じ曜日、同じ時間に彼のもとへ訪問を始めていきました。
最初は彼の育ててるカブトムシの幼虫を見ながらとりとめもなく話しをしたり。
進撃の巨人の魅力について彼が熱く語るのを聴き入ったり。
小学生の頃は、圧倒的に野球少年で大活躍していたらしい。
学校に行けない核心部分は彼から言い出さない限り全く触れずいました。そしていつしか真夏から秋が深まってきました。
「せんせい、少しずつでも勉強してみるよ。」
彼が突然言い出しました。
「そうか、それはいいね。無理せず数学と英語からやっていこ。」
90分の訪問時間のうち、いつも通りの遊びや語らいが60分。そのあと勉強を30分。
いつしかその割合が逆転して、勉強が60分になっていきました。
不登校の生徒の心が再度整い始め、再登校してもいいかな、と思い始めた時の最大の障壁は"勉強が止まっていて学校に行っても授業についていけない"ということ。
その壁を乗り越えるのは簡単ではないので、「せんせい、今日は勉強は無しでお願いします。」と言われることも当たり前にありました。。
真夏に始まった訪問は、晩秋になって勉強も開始し、中学2年の冬(1月)に入りました。
中2から中3への進級のタイミングは学校復帰の大きなチャンスです。
クラスがシャッフルされて新しいメンバーになる。
自分の気持ちの中で大きな踏ん切りをつけることができるのです。
でも、やはり不安を語る彼の気持ちをどう後押ししてあげることができるのか。
「中3なって〇〇がまた学校行けるようになったら、絶対の約束をしよう。一緒にバンプオブチキンのライブに行こ!」
彼の目が爛々と輝きました。
「本当ですか!?そんな簡単にチケット取れないですよ。」
「私に任せなさい。必ずとってみせましょう!」
「わかりました。絶対の約束ですよ。」
お母さんと相談して、中3の始業式の前から、予行練習として、彼の最も仲良しの友達に家の前まで自転車で迎えに来てもらい、学校に遅れてでも行く練習を繰り返しました。
それでも彼にとってはものすごい覚悟のいる行動で、最初は学校に行っても、ものの1時間で帰宅することも多かったです。
中3の春、4月中旬からほぼ毎日行けるようになり、6月からは完全復帰を果たすことができました。
で、約束のバンプオブチキンのライブは、、、。
「私に任せなさい!」と豪語した私は抽選で外れ、見事と彼が抽選でチケットをゲットしてくれました。トホホ。
この写真は、2013年10月16日。大阪城ホールで、バンプのTシャツを着てライブに臨む直前の私です。
写真はもちろん生徒が撮ってくれました。
バンプのライブから10年が経過しました。
14歳だった彼は、私のフリースクールで高校受験の為の勉強を積み重ね、
見事地元の公立高校に合格。
部活でラグビー部に入り活躍し、
高校ラグビーの全国大会にも出場しました。
今や24歳か、。元気にしてることだろう。便りのないのは良い便り。
(おわり)
この記事を書いた人
尾添 先生
J-Web School / J-Schoolの高卒認定試験専門講師。約10年間、不登校支援カウンセラーとして、学校に行けず悩んでいる子供たちや、その保護者の話を聞き、未来への道をひらくご支援をさせていただいています。